呪いのダイヤモンド。次のターゲットは?

呪いのダイヤモンド。次のターゲットは?

世界最高のダイヤモンド
「ホープダイヤモンド」
あのマリリン・モンローも襲われた呪いの宝石

どういった経路をたどったのか?
今現在の所有者は?
呪いは続いているのか?

世界的に有名な宝石「ホープダイヤモンド

この45.5カラットのブルーダイヤモンドは、周りに16個、鎖に45個ものダイヤがはめ込まれているプラチナ製のペンダントの中央に、燦然と輝いています

現在はスミソニアン博物館の国立自然史博物館で見ることができます

この美しいブルーダイヤモンド。世界的に有名になったのには、もう一つの別の理由がありました。それは、所有者を次々と不幸にするというものだったのです

いくつもの時代を超えて、何人もの所有者の手に渡り、数々の呪われた伝説を持つに至った。呪いのブルーダイヤモンド

別名、フランスの青。王冠のブルーダイヤモンド。タヴェルニエブルー。と様々な名称がつけられています

赤い光と青の原因

ダイヤモンドに紫外線を当てるとおよそ三分の一は発光するとされますが、このブルーダイヤモンドに紫外線を当てると1分以上に渡って紅い燐光を発するといいます。赤く、しかも1分以上も光続けるのは極めて珍しく、また現在のところ、その原因は解明されていません

そして、青い色の原因は不純物として含まれるホウ素が原因であることが解析の結果判明していますが、ダイヤモンドが生成される地下深くでは、ホウ素はほとんど存在していないとされています。このため、なぜダイヤモンドの生成時にホウ素が含まれたのかについても謎とされています

始まりの発見者とその運命

このダイヤモンドが発見されたのは9世紀頃、当時ダイヤモンドの産地として有名だったインド南部のデカン高原にあるコーラルという町を流れる川で、農夫により発見されました。青く輝く、美しい大きなダイヤモンドに大喜びした農夫だが、すでに呪いは始まっていました

それから間もなく、農夫の住んでいた村がペルシアの軍隊に攻め込まれ、農夫は殺されてダイヤを奪われてしまいます。その時、渡すまいと必死に握りしめていた農夫の腕ごと切断されたといわれています

ペルシア軍の司令官は、当時のペルシア王にその青いダイヤモンドを献上して喜ばれたが、その後、親族の失敗により処刑、国王もまた、謀反によって殺されてしまいました

第一の所有者・タヴェルニエ

17世紀。フランスの商人、ジャン・バティスト・タヴェルニエの手によって、ホープダイヤモンドは再び歴史に登場します

一説によると、インドのヒンドゥー教寺院に置かれていた女神シータの彫像の目に嵌められていたダイヤモンドをタヴェルニエが密かに盗み出し、フランスに持ち帰ったといいます。そして、それに気付いた僧侶が、あらゆる持ち主に呪いをかけたとされています

タヴェルニエは、当時の国王ルイ14世にダイヤモンドを献上し、王は大層喜んで、莫大な褒美を与えたといいます

しかし、その後タヴェルニエは息子が投資に失敗し全財産をうしなってしまい、その後出かけたロシアの地で狼に食われて死亡しました。あるいは、直後に熱病で死んだともいわれています

タヴェルニエの死は後世の創作で、84歳まで生きたという説もあります。また、盗んだのではなく、購入したとの説もあります。そして、ダイヤモンドの当時の大きさは、112と3/16カラットあったといいます

所有者2・ルイ14世

タヴェルニエからダイヤモンドを購入したルイ14世は、この美しいダイヤモンドをカッティングし、67と1/8カラットの宝石となりました。そして、「王冠の青」あるいは「フランスの青(フレンチ・ブルー)」「ブルーダイヤモンド」と呼ばれ、王の儀典用スカーフに取り付けられました

しかし、ルイ14世がこのダイヤモンドを手に入れた頃から、フランスは国家の財政悪化に悩まされ始め、また子や孫にも先立たれてしまいます。そして間もなく、ルイ14世も天然痘で病死してしまいました

所有者3・ルイ16世とマリー・アントワネット

ルイ14世からルイ15世を経て、次の所有者となったのが、フランス革命で有名なルイ16世と王妃マリー・アントワネットでした。ルイ16世は、ダイヤモンドをマリー・アントワネットに与えましたが、その後二人ともフランス革命によってギロチンで処刑されることとなりました

所有者4・窃盗団

フランス革命後、新政府によって保管されていたブルーダイヤモンドでしたが、1792年に窃盗団の手により盗まれてしまいます。6人の窃盗団が王室の宝玉庫に侵入し、ブルーダイヤモンドを含む宝石類を強奪しました

窃盗団の1人であった士官候補生ギヨは、宝石類を後にル・アーヴルやロンドンで売りつけようとしていたことがわかっています。実際に1796年には、別の宝石を売っています

しかし、ブルーダイヤモンドに関する記録は残されていません

所有者5・宝石研磨師

革命でしばらく紛失状態となっていたブルーダイヤモンドが次に現れたのは、オランダの宝石研磨師のところでした

伝説では、フランス王家からブルーダイヤモンドを盗み出した窃盗団が、出所を不明にするためにカッティングさせた後、アムステルダムの宝石店に売り飛ばしたといいます。また一説には、宝石研磨師のもとに3個に分割して欲しいとの依頼があったともいいます

しかし、宝石研磨師の息子がダイヤモンドを密かに盗み出し、宝石研磨師はそのショックで死んでしまいます。そして、盗んだ息子も自殺してしまったといいます

ホープダイヤモンドを現在の形にしたのが、この宝石研磨師だとされています

所有者6・ダニエル・エリアーソン

イギリスのダイヤモンド商、ダニエル・エリアーソンが、あるダイヤモンドを所有していたことが記録に残っています
このダイヤがブルーダイヤモンドから切り出されたものであることが、2005年にスミソニアン協会によって、また2008年にはフランス国立自然史博物館によって、最終的に確認されました
これがこんにちに繋がるホープダイヤモンドです

この、エリアーソンもまた、乗馬中に落馬して死亡したといいます

所有者7・ヘンリー・フィリップ・ホープ

次に、実業家、ヘンリー・フィリップ・ホープの宝石コレクションとして記録されています

伝説では、1830年頃にロンドンの競売に出され、呪いの噂と数々の伝説、ブルーダイヤモンドとしての価値から注目を集めていた中、彼が1万8000ポンドで落札しました

彼はこのダイヤモンドをブローチに取り付けて、義理の姉妹ルイーズ・ベレスフォードにしばしば貸し出し、彼女は社交パーティーでそれを使ったと言われています

ヘンリー・フィリップ・ホープはロンドンの大銀行家であり、事業に成功していた人物でしたが、このブルーダイヤモンドを手に入れてから数々の不幸に見舞われたといいます

結局、4代に渡ってダイヤモンドを所有することになりますが、最終的には破産してしまいます

なお、ホープダイヤモンドとは彼の名に由来します

所有者8・ヘンリー・ホープ

1839年、ヘンリー・フィリップ・ホープが死去。以後10年以上に渡って、このダイヤモンドを含む宝石の所有権を3人の甥が裁判で争った結果、ヘンリー・ホープが相続人になりました。ヘンリー・ホープは、このダイヤモンドを普段は銀行の大金庫に保管していましたが、1851年のロンドン万博と1855年のパリ万博に展示しています

1864年12月4日、ヘンリー・ホープ死去。未亡人のアデーレが、このダイヤモンドを引き継ぎました

1884年3月31日、アデーレ死去

所有者9・フランシス・ホープ

1887年、ヘンリーとアデーレの孫、フランシス・ホープが、このダイヤモンドをホープダイヤモンドと名付けることを条件に、アデーレの遺産類を相続しました

1894年11月27日、フランシス・ホープ、アメリカ人女優のメイ・ヨーと結婚しました

1896年、フランシス・ホープ破産

1901年、フランシスとメイは離婚し、フランシスは再婚するも、再婚した夫人は1921年に亡くなり、ホープダイヤモンドの呪いとも言われています

ホープダイヤモンドは、その後2万9000ポンドでロンドンの宝石商に買い取られ、アメリカのダイヤモンド商サイモン・フランケルに売却されました

所有者・10 エヴェリン・ウェルシュ・マクリーン

1910年にピエール・カルティエに売却されていたホープダイヤモンドは、1911年には装飾し直されて、アメリカの社交界の名士エヴェリン・ウォルシュ・マクリーンに売却されました。ワシントンポスト紙のオーナー一族の息子マクリーン氏の夫人は、鉱山業者の大富豪の娘であり、ダイヤモンドの愛好家でもありました

夫人は、ホープダイヤモンドを教会へ持って行き祝福をかけてもらったといわれていますが、夫婦の10歳の長男が交通事故で死亡。その後、夫婦は離婚するが、夫のマクリーンは精神に異常をきたし、精神病院で死亡。さらには彼女の娘までも、睡眠薬で自殺してしまったとされています

所有者11・ハリー・ウインストン

ホープダイヤモンドの最後の所有者となったのが、ニューヨークのダイヤモンド商ハリー・ウインストンでした。マクリーン夫人の相続人は夫人の債務の弁済のため、100万ドルでこのダイヤモンドをウインストンに売却しました

ウインストンは、その後、約10年間は手放さず、宝石の宮廷と名付けたアメリカ国内での巡回展や、各種チャリティーパーティーでホープダイヤモンドを展示しました

1958年11月7日、ウインストンはスミソニアン協会にホープダイヤモンドを寄贈し、ウインストン自身は1978年に82歳で病気により死去しました

これらの所有者以外にも、様々な人々の手に渡り、その度に「呪いのダイヤモンド」としての伝説を増やしていきました

真偽が定かでは無いものも含まれますが、ホープダイヤモンドを手に入れたギリシアの宝石商は自動車事故で家族全員が死亡。フランスの宝石商は気が狂い自殺。パリの女優ラドル嬢は舞台上で愛人のロシア人に射殺され、その愛人も革命家によって殺されてしまいます
また、オスマン帝国のスルタンも、革命によって王位を追われてしまったといいます

かの有名な女優、マリリン・モンローも、主演映画の中で本物のホープダイヤモンドを着けていました。その後、マリリン・モンローも謎の死を遂げています

数々の呪いの伝説を残してきたホープダイヤモンド

現在、所蔵しているスミソニアン博物館はアメリカ合衆国連邦政府の財源及び寄付、寄贈、その他の利益で賄われています
このダイヤが持つ呪いはアメリカ合衆国に影響を及ぼすのでしょうか

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