ワンピースやパイレーツ・オブ・カリビアンに登場した実在の海賊6選
one piece(漫画、アニメ)、パイレーツ・オブ・カリビアン(映画)、アサシンクリード(ゲーム)
など、多くの作品でカッコよく描かれている海賊たち
そのモデルやネタ元となった人物とは?
ウイリアム・キッド → ユースタス“キャプテン” キッド(ワンピース)
アルビダ → 金棒のアルビダ(ワンピース)
エドワード・ティーチ(黒ひげ) → 黒ひげ(パイレーツ・オブ・カリビアン)
マーシャル・D・ティーチ(ワンピース)
エドワード・サッチ(アサシンクリード)
フランソワ・ロロノア(ロロネー) → ロロノア・ゾロ(ワンピース)
バルバロス(バルバロッサ)兄弟
ウルージ → 怪僧ウルージ(ワンピース)
ハイレディン → ハイルディン(ワンピース)
バルバロッサ → バルボッサ(パイレーツ・オブ・カリビアン)
赤髭 → シャンクス&赤髭海賊団(ワンピース)
バーソロミュー・ロバーツ → バーソロミュー・くま(ワンピース)
映画や漫画で活躍する有名な海賊たち
そのモデルとなった海賊とはどういう人物だったのでしょうか
そして、今でも信じられている彼らが残した謎とは?
ウイリアム・キッド
キャプテンキッドとして知られる海賊船の船長
海賊としての業績よりもその死に様や財宝伝説で有名です
彼はアドベンチャー・ギャリー号と呼ばれる船に乗り、イギリスからの許可をもらい、フランス船や海賊船を襲っていました
しかし、思うように収益が上がらず、次第にフランス以外の船にも海賊行為を行うようになっていきました
更に、裕福な生活が送れない事や、業績が上がらないキッドに対し乗務員の不満は溜まっていきました
ある日、元副船長のカリフォードが率いる船と遭遇した際、愛想を尽かしていた大量の船員がカリフォードの元へ寝返ってしまい、キッドは戦闘を断念し少数の船員と共にアメリカへと帰還しました
しかし、許可された以外の船への海賊行為や殺人により指名手配されていたキッドは、拘束され悪名高いニューゲート監獄へと送還されてしまいました
キッドは絞首刑となった上、海賊への見せしめのため、首をくくった吊るし木に死体を吊るしたまま、肉が朽ちてもバラバラにならないようタールを塗って固め、鉄のギベット枠にはめられ、何年間も吊るされていたといわれています
結局キッドは大した業績も残せていないようですが、死の直前「10万ポンドの財宝をある場所に埋めた」をいう旨の手紙を書いたとか、執行の直前に叫んだとか言われています
キッドが拿捕し、海賊船として使用していたクェダ・マーチャント号には少なくとも数十万ポンド分もの財宝が積まれていたとされていましたが、キッド自身が資金繰りで売った財宝は1万5000ポンド分くらいだったとされ、残された財宝は未だにこの世界のどこかに眠っていると思われています
アルビダ
バルト海近辺で海賊行為を行った歴史上最も古いとされる女海賊です
アルビダはスカンジナビアの王女でしたが、デンマークのアルフ皇太子と結婚することを拒み、逃げるように海賊になりました
一説によれば、アルビダはとても美しく、彼女の貞操を心配した王が、彼女に近づく男を次々と処刑しようとしたことから海賊になることを決意したといわれています
アルビダ海賊団結成から間もないころ、彼女らは船長を失った海賊船を偶然発見しました。アルビダはその海賊船を捕獲し、彼女が船長となり、そして、その美貌を武器に大きな成功を治めていくこととなります
やがて、アルビダの名声はスカンジナビア中に知れ渡るようになり、アルフの耳にも彼女の噂が入るようになります。そして、デンマーク王の命により海賊退治の任に着いたアルフはアルビダ海賊団を追い詰め戦闘を行いました
激しい戦闘の最中、アルフの勇敢さを気に入ったアルビダは戦いを止め、アルフと結婚することを決意。こうしてアルビダ海賊団は解散することになりました
エドワード・ティーチ
通称黒髭で有名な海賊。その髭に火のついた導火線を編み込み、髭から煙を出すという印象的な姿で数々の海賊行為を行ったとされています
彼は、ジャマイカを拠点に活動していた海賊ホーニゴールドの下で海賊としてのキャリアをスタートさせ、捕えたフランスの奴隷船ラ・コンコルドの船長に任命されます
ラ・コンコルドはクイーン・アンズ・リベンジと改名され、アフリカ西海岸に入り込んだイギリス、オランダ、ポルトガル籍の船を捕えていました
その後、間もなくホーニゴールドの引退を機に船団の指揮をとることとなりました
ティーチは、その印象的なビジュアルや残忍な行為、さらに、強力なイギリスの軍艦を撃退したことで一躍有名になりました
カリブ海で海賊共和国の行政長官を名乗るなど、キャリアのピークを謳歌していたティーチでしたが、元海賊で初代バハマ総督であったウッズ・ロジャーズが海賊退治に本腰を入れ、次々と海賊団を壊滅させていった折、ティーチも拠点としていたナッソーを放棄させられています
その後、海賊行為を再開していたものの、以前より激しい襲撃を繰り返すようになり、その事から本格的な討伐隊が派兵されるようになりました
1718年11月22日、ティーチはノースカロライナ州オラコーク湾に追い詰められ、イギリス軍艦との激しい戦闘の末、死亡し首を切り落とされました
軍艦の艦長であったロバート・メイナードによって黒髭の頭は船首に吊るされました
彼にもまた財宝をどこかに隠したという伝説があるといわれています
フランソワ・ロロノア
フランスの最下層の家に生まれ、当初はカリブ海や西インド諸島で奉公人として働いました。
彼は、幾度となく奉公先から脱走し、いつしか海賊団の一員になったと言われています
ある時、彼が参加していた海賊団が難破してしまい、運が悪い事にそこをスペイン軍に襲撃されてしまいます
ほとんどの乗組員が殺されたが、ロロノアは仲間の血を自分に塗り、死んだふりをしてどうにかその苦難を乗り切り、海賊で栄えた島、トルトゥーガ島へ逃れることができました
武芸に優れ、度胸もあった彼はやがて海賊団の船長となります
ある日彼は、ハバナのある町自体を人質に取り、スペインに対し身代金を要求しましたが、ハバナの総督は一味に討伐隊を送りました
彼は討伐隊を迎撃、1隻の船を捕獲し、1人を除きすべての乗組員を皆殺しにしました。そして、その生き残った1人に「今後スペイン人には何一つ与える物は無い」と伝言を伝え帰還させました
彼は次にマラカイボの街を制圧、そこでも多くの住民に凄惨な拷問を行って財宝の在処を聞き出し、金品を略奪し、住民を虐殺し、町を壊滅させました
更に、続いてジブラルタルへと向かった海賊団は、500人ものジブラルタル駐屯軍を壊滅させ、都市を占拠し、ここでも金品を略奪し、住民を虐殺し、町を壊滅させました
この二つの略奪により大量の金銀財宝を手に入れたロロノアでしたが、一切捕虜をとらず皆殺しにし、無慈悲な拷問や強姦を行い、襲った町を徹底的に略奪、破壊しつくす残虐性により、恐れられる存在となりました
しかし彼がニカラグア沿岸を襲撃した際、守備隊に撃退され、その帰途で船が座礁してしまいます
食料を探しに出た彼は、手下とはぐれた後、原住民と争いを起こし、捕縛され火あぶりにされ、生涯を終えました
一説によれば、彼がが手下とはぐれたのは、その残虐性に嫌気がさした手下達が仕組んだものであり、ロロノアを殺すよう原住民をそそのかしたのもその手下達であると言われています
ハイレディン・バルバロッサ
アルジェを拠点とした海賊団の創始者である兄のウルージ、弟のイリヤと共にバルバロッサと呼ばれヨーロッパ中で恐れられた海賊です
バルバロッサとはイタリア語で赤髭を意味します
アルジェを統治していた兄ウルージの死後、その土地と海賊団を受け継いだハイレディンでしたが、攻勢を強めるスペインの攻撃に対しアルジェの勢力保持が難しくなってしまいます
そこで、アルジェ及びハイレディンの率いる船団や人員のすべてをオスマン帝国へ捧げ、帰順しました
こうしてオスマン帝国の支援を受ける事に成功したハイレディンはオスマン帝国の提督として地中海沿岸のキリスト教国に対する海賊行為を行い、オスマン帝国の制海権を強めていきました
更に、1538年のブレヴェザの海戦において約3倍の兵力を持つ神聖同盟を撤退させ、オスマン帝国による地中海沿岸の制海権を確固たるものとしました
1545年彼は引退、コンスタンティノープル近郊のビュユクデレにある海辺に宮殿を建設し、1546年そこで死去しました
バーソロミュー・ロバーツ
ブラック・バードの通称で知られ、生涯で約400隻もの船舶を略奪した大航海時代最後にして最大の海賊です
ロバーツが航海士として乗船していたイギリスの奴隷船が、西アフリカ沖でハウエル・デイヴィスという海賊に捕獲されました。奴隷船の船長と確執があったロバーツはデイヴィスに対し自分の海賊の仲間にしてくれと申し出たことで彼の海賊人生は始まりました
デイヴィス海賊団の一員となったわずか2ヶ月後、「手練れの海賊でも略奪するのは難しい」と言われていたプリンシペに対しデイヴィス海賊団は襲撃を仕掛けました。しかし、プリンシペ駐留軍の計略にはまり、デイヴィスが戦死してしまいました
これによって船長を失った船団でしたが、乗船後すぐにリーダーシップを発揮していたロバーツが船長に選ばれました
船長となったロバーツは再度プリンシペに対し襲撃をかけ、見事略奪を成功させました
ロバーツの活動内容は細かい事がわかっていません。しかし、「40門もの大砲をもった軍艦を含む16隻もの船を捕獲した」「小型快速帆船で20隻もの船を捕獲した」「わずか1隻で軍艦2隻を含む40隻もの貿易船団を襲い、5万ポンドもの財宝を略奪した」など伝説的逸話や、約20隻もの海賊船団を率いて大西洋の横断航路自体を麻痺させてしまったという話も残っています
また、ロバーツはハンサムでオシャレであったと言われ、赤い宮廷用のズボンや紅い羽のついた三角帽子、緋色の帯で拳銃を吊るし、首にはダイアモンドをちりばめた十字架を下げていました
1722年、ロバーツの船ロイヤル・フォーチュンは、アフリカのロペス岬に停泊し、前日の略奪を祝して酒盛りをしていました
そこをとおりかかった1隻のイギリス軍艦は、ロバーツに気づかれないようフランスの商船を装い、停泊するロイヤル・フォーチュンに接近
ロバーツの手下の1人が、接近するフランス商船がイギリスの軍艦であることを見抜きましたが、ほとんどの者が酒に酔っていたため素早い対応ができず大砲の射程圏内まで接近され砲撃戦となってしまいます
何度となく砲撃の応酬が繰り返され、イギリス軍艦の放った1発の拡散式砲弾がロバーツの喉を貫通し、世紀の大海賊はあっけなくその生涯に幕を降ろしました
ロバーツの遺体は、彼が生前に残していた遺言通り、重しをつけ仲間達の手によって海へと投げ込まれました