存在する可能性大?結城家の埋蔵金伝説

存在する可能性大?結城家の埋蔵金伝説

結城朝光が源頼朝からもらったとされる奥州藤原氏の黄金伝説
砂金が入った樽108個、金の延べ棒5万本
これだけの黄金が日本のどこかに?

結城家の富

結城家に伝わる埋蔵金とは、初代である結城朝光が奥州征伐の褒美として源頼朝からもらったとされる奥州藤原氏の黄金のことです

東北に一大勢力を築いた奥州藤原氏の財力は凄まじく、重臣が書き残したものによると「砂金が入った樽108個、金の延べ棒5万本」という想像を絶する量であったとされています

そして、これらを徳川家康に奪われることを恐れた17代当主結城晴朝が密かに埋蔵したという伝説が残っています

※家康の実の子、秀康は結城家の婿養子となっています

結城朝光・落胤説

信憑性はないと見られていますが、朝光は頼朝の子であるという説があります

朝光公記によると、伊豆時代の頼朝の乳母として知られる寒河尼の三男として育てられたという伝説です

また、朝光の「朝」は頼朝から拝領した名前であり、奥州藤原氏の財産を授けるという莫大な軍功に、朝光は頼朝の実子なのではないかと囁かれたといいます

どちらにしても、頼朝が乳母子の関係にある朝光を可愛がっていたことは事実といえます

17代当主・結城晴朝

関ヶ原の戦いの後、家康は秀康の功績を称えて、結城家は結城10万1000石から越前・福井67万石へと加増転封となります

徳川一門を含めた諸侯の中で唯一50万石を超える加封でしたが、すぐに出立した秀康とは違い、すでに隠居していた17代晴朝は1年近く遅れて到着しています

そして、この1年の空白により、晴朝が結城家代々の財宝をどこかに隠したという噂が囁かれ始めました

夢散る人々

晴朝の死後、家康は結城城の古井戸を手当たり次第に掘り尽くしましたが、埋蔵金は見つかりませんでした。家康はその後、結城家埋蔵金をみだりに発掘することを禁ずるという御触れを出しています

また、8代将軍・徳川吉宗は大岡越前に命じて財宝の発掘に当たらせましたが、土砂崩れが起きて11人の死者が出たといわれています

さらに、幕末の老中阿部正弘が藩政を立て直そうと発掘したり、1917年には水野直子爵が1年にも渡って大掛かりな発掘をしましたが、何も発掘することはできませんでした

結城家埋蔵金伝説

こうして、結城家埋蔵金は信憑性が極めて高い伝説として現在に伝えられ、徳川、豊臣と並んで日本三大埋蔵金と呼ばれています

しかし、それ以後も幾度となく発掘が行われていますが、江戸末期に畑から小判が数枚発見された以外は未だに発見されていません

また一説によると、結城市にある晴朝が建てた金光寺の山門には3首の和歌や絵が彫り込まれていますが、それに埋蔵金の謎が隠されていると言われています

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